藤田嗣治展
京都国立近代美術館の藤田嗣治展に行って参りました。
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*人物像
黒縁丸めがね、ぱさりとしたワンレンでオシャレなのび太にしか見えない。しかも猫好き。メキシカンスタイルとか言っちゃって、テンガロンハットに飾りボタンをずらりと縫ったパンツ姿で芝生に横たわる、かと思えば数年後には作務衣を着て日本趣味な小道具を散らした自画像を描いている。生涯に5回(うろ覚え)も結婚してる。感動的なまでの考え無しだ。
作品数も相当なものだけれど、絵皿だとか用途不明の巾着まで作ってて、旺盛な意欲とスタイルへの非固執が伺える。
*画風の変遷
印象派主流の国内では全く認められず、渡仏、キュビズムやシュルレアリスムに衝撃を受ける。
キュビズムの模倣もしたが、柔らかで幻想的な質感を持つ乳白色で女性人物画を描き、好評を博す。墨で主線を描くのも特徴。私見だが、木目が漫画的。木造建築だけ浮いて見えた。鑑賞者の絵画受容体験が漫画に偏っているためだが、描線レヴェルの一致は確かに見て取れる。
その後、南国調の大胆な色遣いを施し、人物も躍動的で表情のはっきりした画風へ(破顔するピエロのTシャツに花王のお月様みたいな微笑みムーンのプリント。絶対ふざけてる)。感性の賜物か、配色理論を吸収したのかは知らないが、次第に色彩の統一がなされる。
WW2では戦争画を描く。赤銅色を基調とした、ドミナントトーン配色が多い。この時期は輪郭線が顕わには描かれていない。
戦後、輪郭線が復活。49年の渡仏まで、戯画性が顕著な犬・猫・狸・鶏・アヒル・蛙の食卓(壁には裸婦画)を描くあっけらかんは感動的。
その後はディフォルメの効いた少女などを描き続ける。遠近をあえて崩した群像画が多い。
磔刑や黙示録も描いているが、宗教的な厳粛さは全く感じられずマンガ的でさえある。磔刑は近景に数人が配置、遠景と中景は一体となって厳密な空間的整合性は無視される。小花や雑草が地面にほぼ等間隔に配置される適当さが面白い。群集絵画の黙示録は恐怖マンガの世界。
*<すぐ戻ります(蚤の市)>(1956年)
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これが一番印象的でした。モノに溢れた閉空間の絵ですが、遠近法は正確、上方にはくすんだ空が見え、その色と蔭の色調は統一されており(環境光の決定)、現前性に貢献しています。ペールイエローのドミナントカラー配色ですが、中心には「肩から洗面器大の時計を提げたマネキン・首には赤ん坊の人形の頭を安置・補色のペールブルーの合羽を羽織っている」が描かれていて、底抜けする程のあざとさに脱帽。全く衒いを感じられない。
*総評
一貫した思想抜きにひたすら作り続けていて、「これが天才か」と思う。
猫や少女へのフェチは感じるが、その絵で伝えたいテーマがこれっぽっちも見いだせない。物語のための物語、絵画のための絵画、自己以外の論理体系に接続しない成果物を僕は蔑むことにしているのだけれど、浅薄な態度であったかと省みた。同一ジャンルからの無意識の引用作用は無視できないし、美術史観を元にした藤田嗣治の分析は可能だし、また説得力も持ちうるだろうが、「細かいことはいいっこなしよ」と嘯かせる強度がある。ほんとか嘘か知らないがブエノスアイレスでの個展で「1万人がサインのために列に並んだ」というのも頷ける?
