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バリントン・J・ベイリー『時間衝突』

時間衝突
バリントン・J・ベイリー『時間衝突』(1973)
1989年の創元SF文庫版を読んだ。


無時間マトリクスとしての宇宙の中で、局所的・例外的に時間流がうまれた系でのみ生命の発生が可能で、主人公等の地球の時間とちょうど逆に進む時間流に生きる地球種族が存在し、このままでは正面衝突して彼らの生きる時間は静止し破滅をむかえることになるがどうしようか、というのが大筋。

小説としてどうとか、読んで何か残るとかではなくて、SF的アイディアや奔放で自由な展開を楽しむタイプの本。ワイドスクリーン・バロックって言うらしいですよ。
地球を支配しているのが処置なしの純血主義の民族で、他にも偏向した種族がでてくるし、いろいろ直球なのだがその手の政治的な設定でテーマを扱っているのではなくてSFするためのにぎやかしに徹しているのが潔い。
要の時間論や正面衝突のアイディアはとりたてて破天荒ですごいとは感じなかった。
地球に生きる相対する時間の種族らが、揃いも揃って敵の生命系を抹殺して生き延びようとする(抹殺しても時間流の衝突は避けられない。時間流が先に発生したからこそ生命がうまれた)のは愉快。殲滅の手段が核兵器とウイルス兵器であることに注意。
オーヴァーテクノロジーを持つISS(星間宇宙社会)の一つレトルト・シティがあまり熱心ではない脱出の支援者として登場する。レトルト市民は中華の血をひいている。生産レトルト市民(労働者)の趣味がスポーツで、ホカという「数千年にわたって発達してきた格闘技の頂点に位置する武術」を使う。これが強すぎる。相手の首筋に触れるだけで気絶させたり殺したりできる。中国拳法への幻想エスカレートバロス。ホカをつかう労働者達が娯楽レトルトを奪還しに攻めてくるのが個人的には面白すぎた。しかも時間操作装置使ってるからマトリックスのアンダーソンも比じゃねぇっての。
甫蘇夢(フースームン)がタイタン指導者に取り入って、レトルト・シティの社会構造を革命するために侵略を促すくだりは、その後の展開への期待を含めて佳し。「斜行存在」とかいうデウス・エクス・マキナと対話したり(その描写はまさにドゥルーズ的「諸機械」)、説明するとキているネタが多くて愉快そうなのだが、文章が狂っていないので正直そこまで面白くはない。アイディアはぼちぼち良いが調理に配慮が足りない。大味なバカさ加減を楽しむ作品とはいえ、圧倒的な奔流に仕立ててもらわないとどうにもノリきれない。似たタイプの作品でいえば『タウ・ゼロ』はかなり良かったんだけど。宇宙船に乗ってウラシマ効果を極限まで受け続けて、宇宙が縮小し、新しく拡大し始めた次の宇宙まで旅をするなんて面白すぎる。


さて、批判的意味合いナシに(全くナシかどうかは知らないが、デリケートな扱いはまるでされていない)エスノセントリズムや帝国主義をフィクションに登場させられるということは、そのような考え方がお笑いぐさであることが共有されてきて初めて可能になる。少なくともベイリーのイギリスでは、1970年代とはそういう時代であったようだ。1937年生まれのベイリーは赤狩りの顛末を多感な時期に見ている。とある価値観にもとづいた政治的な立場があからさまに称揚され猛威をふるっていても、それはいずれ衰退する。今はもっと狡猾だ。目に見えないからこそ持続的な支配が可能になる。エスノセントリズムや打倒共産主義は流行らないけれど、似たような蒙昧が名前を隠してそこらじゅうにあるのが我々の時代だ。