『乙女ケーキ』つづき
つづき。
○ぬいぐるみのはらわた
[ぬいぐるみ・名付け・分身・形見分け]
AはBが好きだが、Bはノーマル。この時点で百合的には下策。男が障害になるのはうざいだけ。BがAを恋愛の視線で見ることが永遠にない、という軸は結構だが、ノーマルだからという理由付けは乗り越えられるべき。それは人の生理ではない。
[名付け・分身]:くまのぬいぐるみがAに似ているとBが指摘。Aの名前をぬいぐるみに名付ける。なんて残酷な!
本編では鈍感なBが他の男に行き、Aはやつあたりでぬいぐるみのはらわたを引きずり出すが、やつあたりでは弱いので↓
分身のぬいぐるみがBのそばに。Aが妄想をかきたてる(私の身代わりがあの子のそばにいるなんてハァハァ)
→でもやっぱり代わりじゃなくて私を愛して欲しい、という具合に屈託、ぬいぐるみふぜいがあの子のそばにいるなんて赦せない!とはらわたを引きずり出す
→でもやっぱり妄想力の賜物で、「代わりでもいいからつながっていたい」と絶望的な肯定をする
という展開が見たい。
特別の因縁ある、異形としての[一個のぬいぐるみ]もいいが、[ぬいぐるみ]が真価を発揮するのは群体としてだろう。低身長の娘がうさぎの耳を持って引きずるのもいいが、ちょっと少女趣味な娘の部屋にいったらやっぱり異常な数のぬいぐるみがあって、なんだかんだでトラウマ発動して人事不省で絶賛ひきこもって、主人公を知らない人と認識するようになって、「○○くんどこぉ? ・・・・・・なんだぁ、ここにいたんだねぇ」とぬいぐるみに話しかけてだっこして、看病に通うけど主人公の身代わりのぬいぐるみも毎日違ってて処置無しだよ!とかな。
○みちくさ
[下校・みちくさ・草花・おさななじみ・手を繋ぐ]
男嫌いがどうとかも、ノーマルキャラと同様にやめておいた方がいい。百合だから男が嫌いになるわけでも、男が嫌いだから百合になるわけでもない。単純な消去法の支配、それは間違った世界の話だ。一顧だにしなくていい。
[手を繋ぐ]くらい仲がいい[おさななじみ]が、腹の内では騙しあっているのは構わないが、「女の子が好きなフリ」で騙すのは性急だ。
考えられる展開は、{[草花]に詳しいAは、昔からことある毎に教えているが、Bは覚えない。その身勝手さや無自覚をAは軽蔑しているが、Bのそういった軽やかさに救われる瞬間を設ける}といったところか。
百合の関係の自明さを、[おさななじみ]の関係の自明さに任せてしまっていいのか。基本的にはいいわけがない。しかし、やるときには純粋で屈強な狂気をもって[おさななじみ]でありつづけた方がいい。『水月』の雪が、母でもメイドでもない「母」でも「メイド」でもあり続けたように。
○タイガーリリー
[夢・午睡・演劇・目を閉じる・キス・約束・忘却]
要素だけ見るとそれなんてエロゲ?だが、読んでいて思い出すのは高野文子の「田辺のつる」(『絶対安全剃刀』所収)と「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」(『おともだち』所収)。
老婆が女子高生の姿で描かれるのは、「田辺のつる」の幼女で描かれるつる婆さんだし、演劇で女子二人が距離を縮めるのは「春ノ波止場~」。余談だが「春ノ波止場~」は何故面白いのかわからないくらい面白いのでお勧め。
本編のキモは、AとBがすでに夫を亡くしていて、片方は母校の寺尾先生のはずのようで、なおかつどっちがどっちかわからないところ。夢・忘却・不在の起点になってる。顔の描かれない存在で、随分とあざとい。ヒくかもしれないが、それはそれ。
手の加えようのないほどダメか、とりつく島もないほど完結しているか、評価はお任せするが、諸事情により本項はここで打ち止めとする。
○ショートカット
[髪を切る・真似・手鏡・自己嫌悪・キス]
Aに憧れるBは、Aの真似をする。この発想はどこからくるか。女同士の同質性から来るなら、直ちに捨て去るべきだ。
古いエロレズの発想には、男女間の非対称性・異質性の裏返しとして、女同士のあいだに対称性・同質性を求めるものが多い。(中略) エロレズにおいて、女同士のあいだに対称性・同質性を求めるのは間違っている。人類の遺伝子の多様性は、チンパンジーなどに比べてはるかに小さいのに、人種や民族のような差異で分断されており、人類の同質性を感じるのは難しい。これと同じ理屈で、女性しか出てこない世界では、女性の同質性を描くことはできない
本編は順当に、「でもね 本当は知ってるの どんなにマネしたって私が沢ちゃんになれないってこと それと・・・ 沢ちゃんの心を うばえないってことも」と破棄している。異質性への気づきに恋愛の不可能性をはき違えるのは頂けないが、これも必要な一歩だ。
同様に、自己愛や自己嫌悪も百合が同性間であること、その表層から見出してはいけない。
○氷砂糖の欠片
[疲れた母・父からの電話・氷砂糖・冷光・誕生日プレゼント]
母と父の結婚生活の失敗を、氷砂糖の冷光現象を見たのをきっかけに母が昇華し、その様を見たAが、自覚していなかった自分の冷たさを乗り越える話、とまとめられるが、随分とぎくしゃくしている。
「母の昇華」はAが能動的に関わって達成されたものでなく、母が回想し、救いに気づいたことで行われる、独りよがりなものだ。ここにクライマックスが置かれているので、主人公の話ではなくなっている。
「母の昇華」の筋を補い、Aの筋として回収されるように、[父からの電話]を繰り返させる必要がある。短編としてはそれで成り立つが、どうも百合にはならない。母やAが共通して持つ「冷たさ」が、どのようにAとBの障害になっているかがはっきりしない。Aは社会化不十分な空気読めない子なので、つきあいが不得手です、というのは弱い。
それを放置して百合らしくするとして、すでに好きあっているAとB、Bが勇気を出してAにキスをして、Aが条件反射で拒否してしまうところから始め、中盤をこなし、清流で蛍が舞うなかAからBにキスをして和解か。
○夏の繭
[水泳・ペットボトル・生理・髪]
[水泳・ペットボトル]:水。こんな不潔な自分があの子に触れられてはいけない、というところで[水]を忌避している。
[生理]は百合に必要か? 生理は身体を縛るゆえに、自我も縛る。それは避けられないことだが、直接出すものでもない。不可避の痛みは他にもあるはずだ。
[髪]:よくよくタカハシは髪に執着があるらしい。殆ど憎んでいる。女性性を憎んでいる。「髪を切ってハッピーエンド」は自立しないが、身体の一部でありながら装飾でもある[髪]は、悪くない意匠だと思う。触れる、梳く、口づける、切る、束ねる、編む、抜ける以上に何ができるかというとあまり思いつかないが。その点、本編の「Aが寝ている間にBがもてあそび、口づけた」のはよいフェチだ。
○サンダル
書くことがない。
○彼女の隣り
桜の木の下のBに一目惚れしたAが、Bに近づくためにわざわざBの彼氏を経由した迂遠さは愛らしい。
○乙女ケーキ
[家庭科・屋上・かっぽうぎ・ケーキ・入刀=結婚式ごっこ]
屋上で結婚式ごっこは意外に思いつかない、と思ったら『少女セクト』のp17からさらりと小ネタで入っていたので玄鉄絢はすごい。
なぜ屋上か。校内で日常の延長になく、ロマンがある場所といえば当然そうなる。
『Kanon』の真琴はものみの丘だった。異界、聖域。たしかに[屋上]は教会よりよっぽど聖域くさい。
[屋上]の例は枚挙に暇がないが、『ONE』の川名みさき以上に鮮烈なのは永遠にないでしょう、原理的に。屋上で見るものっていったら空以外にありえません。校庭や街並みは二の次。みさき先輩は盲目なのに、夕焼けを見るために屋上にいるんですよ。「そのための場所」に「それが不可能」な人が「そのためにそこにいる」。これ以上なにを語れと。
*まとめ
「キスをしてハッピーエンド」は百合でも成り立つが、勿論弱い。
「ハーレムに入ってハッピーエンド」を『歴史のくずかご』その他『少女セクト』で見るが、これはなかなか強い。「恋愛は一対一でするもの」というイデオロギーが支配的な現世では、三角関係が背徳性や選択を強いる故に緊張感を生むように、ハーレムハッピーエンドのありえなさはそれ故に美しい。3人いればできるので、短編でも可能だ。現在最有力であり、業界標準の一つになっていくだろう。
それとは別に、一対一でも成立するのものは?
これがわからない。「監禁されてハッピーエンド」はエロレズでは強固だが、非ポルノでは冗談にしかならない。ハーレムや監禁と発想は同じだが、「同棲」は十分成立する。カップルを絶対化する発想。ただし、捻れが圧倒的に小さく、弱い。
いつもここで思考停止する。おそらく致命的に何かを見落としているのだろうが、それはいつだって後にならないとわからない。
