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2008年01月19日

百合ニュース

ニュースである。
勝手に敬愛している中里一氏の新作がガガガ文庫より刊行される気配である。
私にとってはたいへん良きニュースである。
あんまりいいことが続くので、俺は死ぬかも知れないと思っている。ヤバイ。
『GUNSLINGERGIRL IL TEATRINO』のED曲を麻枝准が作詞作曲していたり、桜庭が直木賞を受賞したり、そして今回のこれである。
中里一氏は私の知る限りで最も百合を理解し、愛し、遠くを見据えている方である。彼の言葉は百合に限らずよきものであるが、まあ今はそれはいい。
とりあえず興味のある方は『歴史のくずかご』を読まれたい。私はこれを読んで世界が広がった。「三位一体のお誘い」である。

2008年01月18日

桜庭一樹、直木賞受賞

桜庭一樹が直木賞受賞である。
たいへんめでたい。
おめでとうございます!!
一報を頂いたときは感極まって挙動不審者とあいなった。
取り急ぎ祝辞をしたためる。

受賞作の『私の男』は実はまだ読めていない。勿論買ってはいるのだが。
『推定少女』に出会い、彼女の描く「少女感覚」に一発でやられ、以来桜庭にぞっこんであるが、記者会見での「少女が大人になったり、大人が少女になったりするものを書いているので、少女から離れようとしているのかも」の言葉にあるように、それは変化している。適当に言い換えれば、中二病から離れたように見える。それは脱却ではない。中二病は卒業するものではない。何らかの形で一生付き合っていくものだと、今の俺は考えている。「みんなのいうことは筋は通ってるけど、なんだか納得できない」という感覚。やれと言われて、もしくはそうすべきだと判断して、けど素直にそうしていいものだろうかという感覚。ためらい。逆に聞く耳を持たない透徹した意志と行動。この乖離性は根源的なものだ。美徳も悪徳もそこから始まるのだ。
桜庭の書く少女たちの疾走は、ためらいのネガと言っていい。それは身体ごと引き裂かれそうな、最適解の存在しない状況への抵抗であり、不自由からまた違う不自由へと進んでいくための燦然たる力の発露だ。力を発揮するとき人は別人になる。だから少女は大人になり、大人は少女になる。それでいいと思う。少女から離れても、いつだって人は少女に戻ることができる。いつだって人は不自由なゆえに。

というわけで桜庭にはこのまま書いてもらえばいいのである。
今後はライトノベルレーベルからGOSICKだけでなく他の新刊が出たら面白いので、強く希望する。ほんといい時代になったと思う。