桜庭一樹が直木賞受賞である。
たいへんめでたい。
おめでとうございます!!
一報を頂いたときは感極まって挙動不審者とあいなった。
取り急ぎ祝辞をしたためる。
受賞作の『私の男』は実はまだ読めていない。勿論買ってはいるのだが。
『推定少女』に出会い、彼女の描く「少女感覚」に一発でやられ、以来桜庭にぞっこんであるが、記者会見での「少女が大人になったり、大人が少女になったりするものを書いているので、少女から離れようとしているのかも」の言葉にあるように、それは変化している。適当に言い換えれば、中二病から離れたように見える。それは脱却ではない。中二病は卒業するものではない。何らかの形で一生付き合っていくものだと、今の俺は考えている。「みんなのいうことは筋は通ってるけど、なんだか納得できない」という感覚。やれと言われて、もしくはそうすべきだと判断して、けど素直にそうしていいものだろうかという感覚。ためらい。逆に聞く耳を持たない透徹した意志と行動。この乖離性は根源的なものだ。美徳も悪徳もそこから始まるのだ。
桜庭の書く少女たちの疾走は、ためらいのネガと言っていい。それは身体ごと引き裂かれそうな、最適解の存在しない状況への抵抗であり、不自由からまた違う不自由へと進んでいくための燦然たる力の発露だ。力を発揮するとき人は別人になる。だから少女は大人になり、大人は少女になる。それでいいと思う。少女から離れても、いつだって人は少女に戻ることができる。いつだって人は不自由なゆえに。
というわけで桜庭にはこのまま書いてもらえばいいのである。
今後はライトノベルレーベルからGOSICKだけでなく他の新刊が出たら面白いので、強く希望する。ほんといい時代になったと思う。